katsuyaku

十牛図 Zen Ox-Herding

こんにちは。日本はゴールデンウィーク真っ只中でしょうか?

楽しんでいらっしゃいますか?会社員をしていた20年間は、とっても楽しみにしていたのを思い出します。

さて、最近一番楽しくて、やっていることが、瞑想会にオンラインでほぼ毎日参加していることです。

ずっと苦手だった瞑想が楽しく、気付きがさらに増えています。

ヨガを始めて約20年。ヨガを始めた時は、ただ痩せたかっただけ(笑)

アーサナ(ポーズ)を取ることだけがヨガだと思っていました。

でも、ティーチャーズトレーニングを2011年にうけたときに、ヨガはもともと瞑想することだったということ。ポーズは瞑想しやすいからだを作るために生まれたものだったということを知ったように思います。

ヨガの一番最後にやるシャバアサナ=屍のポーズのときに、なんどか感謝が溢れてきて涙が出るという体験をしたことがあったので、体感的には瞑想の素晴らしさは得たことがあったのかもしれません。

初めて瞑想をしたのは、年代が少しさかのぼりますが、2005年くらいでしょうか?

子供がまだ生まれる前。その頃付き合っていたボーイフレンドのことで悩み苦しんでいた時。

たまたま出会ったヒーラーさんに、レイキを伝授してもらったり、OSHOのチャクラを使った瞑想などを一緒にしていました。

悩んでいたので、一人で自宅で瞑想を良くしていたと思いますが、未熟だったため、変なところとつながったのか、とても怖い思いをしたことも覚えています。

動き回るばかりで、ゆっくりするのが苦手で、特に息子が生まれてからは、分刻みで行動していた35歳から主人に出会う約6.7年前まで、瞑想の練習はほぼしていなかったと思います。

瞑想の必要性を再度感じ始めて、すこしずつ練習をしてはいたものの、オン&オフ。やったりやらなかったりが続いていました。

2017年8月に言霊教室に初めて参加したことで、毎日のお祈りは始めていましたが、毎日瞑想をしようと練習を本格的にできるようになったのは、仕事をやめてアメリカに引っ越してきた2018年8月以降だと思います。

特に、2020年はコロナパンデミックで家に閉じこもるようになった時期に、瞑想の大切さを本や、動画で再認識し、息子と一緒に練習をしていたこともありました。

そのころ2020年夏になかなか瞑想がうまくいかず、瞑想を長く続けていて、エンライトメントを経験したことがある主人にアドバイスを求めた時に、十牛図を始めて教えてもらいました。

しばらく忘れていたのですが、先週私が夢で問題を解こうとしていた時に、主人が再度同じものをシェアしてくれました。

今朝、今瞑想会をオーガナイズしてくれているお仲間タエちゃんと話していて出てきたのが、この牛の話!!!これは再度振り返りをするタイミングなんだ!ということで、振り返りをやっていきます。

以下、当時の私の言葉です。

The Ten Ox-herding Pictures (十牛図)

悟りに至る10の段階の図と詩で表したもの

旦那さんは昔禅のお寺?に通っていたこともありずいぶん昔から知っていたそうです。

東洋発祥の禅について、まったくしらなかったアジア出身の私が、

アメリカ人のだんなさまから英語でおしえてもらうという面白い現象です。

いろいろな日本語の解説も読んでみたのですが、なぜか旦那様にもらった英語の文章がしっくりときたので、

ここで自分の理解を深めるためにもここでシェアしてみます。

どんな人にも仏の真源、仏性が備わっているが、迷いの世界に入り込み、もがき苦しんでいるので、

そこから逃れる方途をこれまでも示されては来たが、それらは不十分であったので

新たに廓庵禅師(中国北栄時代の臨済宗の禅僧)は放牧によってその方途を示された。

牛=本当の自分

牛を探し求める牧人=真の自己を究明する自分

1.尋牛(牛を尋ね探す)

物質なものがあれば幸せだと思っていたが、

家、お金、何でも持っていても幸せでないということに気づく。

そして、良好な恋愛や男女関係があれば幸せだと思っていたが、

すべてを受け入れてくれる完璧な人を見つけることはなかなかなくて、

誰か見つけたとしてもすべてのあなたの要求を満足させてくれることはできないと気付く。

超やりがいもあり、高給の仕事につけば安心だとおもっていたが、

それも単なるピースに過ぎないと気付く。

そんな私たちがこの絵の若い牧人のように何かを探し求めている。

その何かとは、内面の平和や満足感や何か明瞭さのこと。

2.見跡(牛の足跡を見つける)

足跡とは自らをよりどころとせよ。という釈迦の教えをしめしている。

私たちが不満なことに対して何かをやってみようと決めたときにいろいろ探す。

哲学について、心理学についてなどいろいろな本を読んで、仏教や瞑想の話も聞く。

瞑想の練習をしている人や、先生と話す機会もあるかもしれない。

でもそれを読んでいるだけでは

自分の不満な感情(変えたい感情)がかわらなかったり、ネガティブに陥ってしまったりする。

3.見牛(牛を見つける)

牛の後ろ姿を牧人が発見する=あるべき自分を発見する。

いろいろなことにチャレンジして、いろんな場所にもいって、本もたくさん読む。

瞑想にも挑戦して少し平和な気持ちになり、有効であることを感じ始める。

このレベルでは知識だけではなく、実際の体験レベルで感じることができる。

今日はこの3つをやってみましたが、

今の世の中ではすでに物質世界だけではないということはかなり多くの人が理解しているのではないかと思います。

そこで1のように本当の幸せを探していくのだと思います。

1を探して本を読んだり、ヨガをならったり、していてもなかなか変われないという状況が2なのかもしれません。

3では2で学んだことの実践を深めてすこし感覚を得るようになることだと思います。

ヨガ最後のシャバーサナ(屍のポーズという休むポーズ)ですべてのことに感謝ができたり、

なにかふと良い考えが浮かんだり(直観=ダウンロード)、

お祈りをしてお祈りしたことが現実になったり。ということだと私の体験ではとらえています。

まだまだ変えたい感情がうまくかえられないこともおおいので足跡をみつけたところにもどったり、牛を追っかけたりしているのでしょうか(笑)

面白いですね!2年たって、3まではぶれないものに変わってきていると思います。

次回は、このあとの4-6についてシェアしていきたいと思います。

最後まで読んでいただいてありがとうございました!

Have a great day!

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